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【BFI】絵描き&ミュージシャン:立花SISI太郎さん

#高次脳機能障害 #地域づくり #人生物語

手に青い珠(もしかすると地球)を握りしめ、夜空を昇る青い龍。

この迫力ありロマンあふれる絵を描いたのは現在愛南町を拠点に活動している立花SISI太郎さん。35歳の時に生死をさ迷うほどの大事故に遭うも奇跡的に復活。リハビリとして始めたちぎり絵をきっかけに(子供時代に好きだった)絵を復活。現在高次脳機能障害という後遺症を抱えながらも、絵描きとして、ミュージシャンとして活躍しつつ、新たな夢に向かってまい進中!!

ということで、今回のバリアフリーインタビューは、立花SiSi太郎さんです。

立花SiSi太郎さん(写真はtwitterより)

まずはSiSi太郎という名前(アーティスト名)はどこから?

初めて(埼玉県川越で)展覧会を開催する時に、ニックネームを考えた。18歳の時、俺金髪で、髪の毛を立ててライオンのような頭をしており、獅子と呼ばれていた。でもそのSiSiだけではつまらない。そこで俺のじいちゃんが光太郎、曾じいちゃんが喜太郎、更に八太郎と代々『太郎』という名前が付く。それで太郎を受け継いでSISI太郎と名乗るようにした。

SiSi太郎さんは高校卒業後東京に憧れ、夢を追い求めて子ども時代を過ごした御荘町(現愛南町)を離れます。けれども若き青春時代、多くの壁が立ちはだかります。反発・挫折・幸運・不運・成り行き任せ…、大都会の、あるいは人生の荒波に乗ったり飲み込まれたり。
そして35歳の秋、鳶鍛治(とびかじ)として現場で働いていた時に、クレーンでつり下げられたコンクリートのマル杭が頭に落ちて頭蓋骨が半分砕け意識不明状態に。先生からは「良くて植物状態」と告げられます。

意識不明であったり、戻ったりしたんじゃないかと思う。事故当初は人工呼吸器にカテーテルに…。断片的に覚えていることもあるけど、半年間の記憶がない。食事もできたことがあるらしい。1回食べたこともあるけど、引っかかってもう一回喉に穴を開けられた。今は跡はないけど。

ギターにペイント中!

奇跡的に復活し半年後に退院したSisi太郎さん。けれども半年間寝たきり状態にあったので当然ながら体力は低下しています。かつては何でもなかった家から駅までの道のりが歩くことができなくなっていたそう。その回復のためにリハビリに励みます。最初は辛いことでしかなかったのでしょうが、少しずつ回復していくことも分かります。

リハビリでプールに行ったりして、最終目標が何百メートルかだったのだけど、あと一歩のところでうれしくなって笑っちゃって、溺れてしまうという…。リハビリの先生から「危ないから笑わないで~!」と注意されてた。

目が二重に見えて、リハビリで卓球も出来るようになった。100往復がゴールだったんだけど、それに近づくとうれしくなって笑っちゃって…。リハビリの人から「もうちょっとだから我慢して~!」と。

そんなことを繰り返しながらリハビリ指導を受けひとつひとつクリアしていったのです。
リハビリを続けたおかげで、日常生活を送れるまでになったが、完ぺきに治ったわけではありません。脳挫傷の影響で高次脳機能障害となり、記憶力が失われ、すぐに忘れてしまいます。

※高次脳機能障害とは、交通事故や脳梗塞などで脳が部分的に損傷を受けたために起こる障害です。記憶力や注意力の低下、感情のコントロールができなくなるなど様々な症状があり、日常生活に様々な困難が生じるようになります。どのような症状があるのか、症状がどのように表れるかは、人それぞれ異なります。SiSi太郎さんのこの笑ってしまうのが、本当にうれしくて笑ってしまうのか、高次脳機能障害の影響で感情のコントロールが上手くいかずに笑ってしまうのかは分かりません…。

記憶の検査も何度もしたけど毎回ダメだった。話しているうちにすぐ忘れてしまって。退院してお使い頼まれて、メモするけど、そのメモが見つからなくて、また家に帰って、嫁に怒られたなんてしょっちゅうだった。

愛媛県障がい者アート展で佳作となった「messiah←→saving the Blue Planet 救世主←→青い惑星(地球)を救う」

現在の高次脳機能障害の症状は?

記憶が、めっちゃ忘れる。話しているうちに違う話しになってしまうこともしょっちゅう。

右目は瞳孔が開きっぱなしだけど、障害が出ていないから障害にはならないとのことで、ただ高次脳機能障害とだけ。他にも泣き出したり笑いだしたりと。俺、水戸黄門見て泣けるんですよ。いいでしょ。おくりびと見たときも号泣。ボヘミアン・ラプソディを見たときは周りのみんな泣いていてよかった~。

あと膝が固まってしまって、和式トイレができない。もし和式トイレを使わないといけないときはしがみついて。障がい者トイレになると本当にありがたい。


周りの人からどんな手助けがあると助かりますか。

高次脳機能障害は見た目は分からない、いろいろなパターンがある。俺の場合はそうでもないけど、もっとひどい人もいるから。そういう意味では遠慮なくヘルプを出せる社会になって欲しい。

埼玉にいたときは病院で高次脳機能障がいの人が10人くらい集まって座談会があった。その時々のニュースを持ってきてやっってたりもしたけど、やっぱみんないろんなパターンがあって、お風呂に入って洗い出すと何時間も洗っているとか。あとお酒ダメなんだけど何度も飲んでしまうひととか。俺もお酒ダメなんだけど、一度飲みたい。娘と飲みたい。罰があたったからしょうがないけど。

かつて高次脳機能障がいで手帳を出したとき、タクシーの運転手にブチ切れられたことがある。そんなこともないようになって欲しい。バリアフリーが普通の社会。普通にある社会になって欲しい。

俺ライブのときよくヘルプマークをつけて演奏しています。なかなか浸透していないので。だから少しでも知ってもらいたくて。

※ヘルプマークとは、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。(東京都保健福祉局HPより)


事故の前後の性格や人生観の変化は?

大いにある。性格はもともと明るかったんだけど。東京に行ってバンドと出会って格好つけだして、話すとボロが出るから話さないようになった。弟とも全く話さなくなった。今は格好も付けなくなったし、超ラッキー。

人生観は大いに変わって、人間ていつ何時何があるか分からない。そこで後悔したくないんで、本当にやりたいことを出来る範囲でやりたいと思っている。

リハビリとしてちぎり絵を始めたところ、それまで何をやってもすぐに止めてしまっていたのが、ちぎり絵だけはいくらでも続けられたとのこと。病院の先生からみんなの励みになるからと展示してもらい、それがきっかけとなり絵を展覧会に出すまでになるのです。

絵を描くのはいつから?

子どものころから。裏の同年齢の姉妹と遊びたいがために着せ替え人形の絵を描いていたこともある。小学校3年生の時に描いた龍の絵が一番上手く描けた。子どものころから龍の夢を見ていた。今思えば、八岐大蛇だと思うけど、それが家を襲って大火事となり、ギャーと言いて起きると、おねしょをしていて、怒られていた。

中学校2年の時美術の先生が変わってつまらない授業ばかりで一度絵を描くの止めた。でもその時もクラスのみんなをキャラクターにして描いていた。高校も美術部に入ったけど、それは何もしなくて良かったから。ただ3年になってパステル画と知り合って、それが面白くなり、それが絵を再び描くことに。その後は仕事で忙しかったから時々ライブのチラシを描く程度だった。

小学生の時に描いた龍

SiSi太郎さんが描く絵は龍のほか動物や宇宙、音楽の絵が多い。そしてその絵はとてもFunckyでありでROCKしている。

ROCKは18のころから。俺は時代によって変わっていて、18歳の時はパンク、グラムにも影響された。中でもデヴィッド・ボウイ(David Bowie)のグラムが一番。ブルースに影響されていたときには、ブルースハープ(ハーモニカ)を持って仕事に行って、毎日それを吹きながら家に帰っていた。子どもたちはその音を聞くとパパが返ってきたとお迎えに出てきてくれた。ブルースハープって結構大きな音が出るんだけど、今思えば無茶近所迷惑だったかな。吹きすぎて唇の端が切れて血が出ていた。


現在SiSi太郎さんは、芸能人やミュージシャンのギターに絵を描いたりするなど有名人との出会いも多い。絵や音楽を通じて現在一緒に活動する仲間たちとも出会います。さらにはSiSi太郎さんの絵を理解し、今では師でありパートナーとなる宇和島で画廊を営む福島氏とも出会い忙しく活動しています。福島氏との出会いから「宇宙と地球をつなぐ展覧会」も始ります。SiSi太郎さんの出会いを生み出す方法を聞いてみました。

俺は面白そうなもの、興味持ったものは、恥をかいても俺の方からいくほう。それで広がっている。福島さんと出会ったのは本当にでかくて、絵が向上したのは福島さんの影響。福島さんと出会わなかったらこんなに絵を描くこともなかったし、いろいろな出会いもなかったと思う。ありがたい存在。福島さんと出会いいろいろなことが加速し今はてんやわんや。

素敵なタイトルなものも多い!

その出会いは、好きなこと、やりたいことをやるというとこからも来ている?

今やろうとしている山での農副連携も、それを一緒にやっている友達も同じ考え。彼は(俺の)弟が事故で亡くなったことで考えが変わった。ホント人間って、昨日まで元気だったのに、いつ何時何が起こるか分からないよねと。

宇和島など大きな町では障がい者のサポートがあるが、愛南など小さな町ではそのようなものがない。だからそこで愛南支部でいいからやりたい。役場もようやく俺たちのやりたいことを分かってくれた。子どもたちと野菜を取ったり、障がい者とアート展をしたい。そして一緒に育ち、育てられたい。もちろん普通のアート展も、ライブもしたい。町の人の休憩所なんかにもしたい。山登りして、疲れたらいくらでも休んでくださいよ~と。


最後に宇和島の商店街で御殿町画廊を経営しており、SiSi太郎さんの師として、よきパートナーとして活動している福島さんにSiSi太郎さんの絵を見るポイントを聞いてみました。

命の尊さを感じて欲しい。
獅子太郎の絵を理解するのは音楽も一緒だと理解しやすい。
彼はすさまじい経験を持つ人。絵を通じて音楽を通じて感じて欲しい。こんなに元気でやっていることを見てもらいたい。生きていることのすさまじさ、エネルギー、そういうものを感じて欲しい。人間の神髄や魂を感じて欲しい。それが僕が獅子太郎を応援させてもらっている根底にあるもの。だからSISI太郎を応援することに揺るぎがない。その中から「宇宙と地球をつなぐ展覧会」も出てきた。

sisi太郎さんと御殿町画廊のオーナー福島さん(左)
ちなみにこの龍はSiSi太郎さんが初めて納得できた龍の絵とのこと。

ということで、今回は絵描きであり、ミュージシャンであり、そして農副連携を通じてまちづくりも行おうとしている立花SiSi太郎さんのバリアフリーインタビューでした。もしかするとこのインタビューと写真だけだとSiSi太郎さんは、ロックンローラーであり近寄り難い人のように思われるかもしれませんが、実際のSiSi太郎さんは愛に溢れたとても優しい人なのです。


最後にSiSi太郎さんと仲間たちが結成したバンドNO BORDER の演奏を!(at愛媛県庁本館)


立花SiSi太郎さんのtwitterはこちら

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おまけ

インタビュー裏話~SiSi太郎青春エピソード~

高校を卒業し、東京にあるデザイン系専門学校に新聞奨学生として入学します。
毎朝380件新聞を配って回ります。それだけの軒数を配って回るとどれだけ頑張っても毎日遅刻してしまいます。ある日SiSi太郎さん「3日遅刻で1日欠席となる」という学校の規則を知ります。

「俺毎日遅刻だから、この先毎日通っても2年生に上がれない。だから販売会社の社長に2年生に上がれないので配る場所変えてくださいと言ったんだけど、人がいないのでだめだとのこと。それで一旦は分かりましたと引き下がったのだけど、めっちゃバカバカしくなって夕刊をマンションの屋上から投げ捨てた。」

「そしたらお前はもう駄目だと言われて、セールスに回された。でもセールスで、俺その時髪の毛ピンクでケツまであって、トゲトゲさしていて、毎日化粧をしていたので、そんな格好でコンコンと叩いても、誰も開けてくれない。開けてくれても2軒ぐらい。結局このままでは飼い殺しだなと思って夜逃げした。布団とか全部どぶ川に捨てて、ギターとラジカセだけ持って脱出した。」

若き頃のsisi太郎さん

参考までに

立花sisi太郎さんの絵は宇和島市の新橋商店街にある御殿町画廊で常設展示されています。

絵を購入することも可能です。

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インタビュー:2022年(令和4年)6月

聞き手&編集:Eikyo